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鹿児島県曽於郡大崎町菱田3689番地

お知らせ

御在所岳、登山

 今日は梅雨の中休み、久々の快晴でした。ただ、私の住むマンションの流し台は小雨模様で、流しの下にぽたぽたと水漏れ発生。私と不動産屋さんと大家さんの3人がかりでやっと修理が終わったのが、12時過ぎ。せっかくいい天気だったので、志布志市最高峰の御在所岳(ございしょだけ、530m)に登ってきました。ただ単に登るだけではつまらないと思い、登山口の田之浦小学校まではリュックに登山靴を入れて13Kmの道のりを自転車で行きました。着く頃には「やっぱり車で来ればよかった。」と反省しきりでしたが、痙攣しかけた脚を踏み出し、とにかく尾根づたいに3Km、380m登ってきました。 この御在所岳は、天智天皇(中大兄皇子といったほうが通りがいいかな)由来の山で、一時お忍びで滞在していたとの伝説があります。そのため、一度は登ってみたいと思ったのですが、蚊はまとわりつくわ、眺望はまったくないわ、というわけで本宮跡と頂上を見たあと、すぐに下山しました。 自宅まで自転車で走り終えた後は、自分へのご褒美に小玉スイカ「ラビットスイカ」を半分にして、丼ぶりに載せて食べました。みずみずしくて、甘くて、とてもおいしいです。皮が薄いので、得をした気分にもなります。

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※「天智天皇伝説」天智天皇は、「采女」(うねめ:宮中で仕えていた女官)の玉依姫(たまよりひめ)を深く見初められました。彼女が都を去り、薩摩の国頴娃(えい)開聞の里に帰った後も忘れられず、お忍びで今の志布志の港に来られ、仮住まいをされたそうです。そして、開聞の地が見える場所ということで、この御在所岳にもしばらく住まわれたとのことです。 ちなみに「志布志」という地名は天智天皇から賜ったと伝えられています。天智天皇が志布志で仮住まいしている間に、土地の者の妻が天智天皇を慰めようと織物を献上し、女主人のやさしさを見習ったこの家の下女も同様に織物を献上したところ、天皇は大いに感激され「身分の上下にかかわらず同じ志の布をありがとう」ということで、「志布志」という名を賜ったそうです。

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